第7回 忘れられる権利
「EUデータ保護指令」の法制化に関連して注目されているのは「忘れられる権利」である。インターネットでは個人のブログや公開掲示板、ツイッター、フェースブックなどの不特定多数のユーザーが読む可能性のあるソーシャルメディアなどに、多くの個人情報が出現する。その中には、当事者が他人に知られたくないと思っている情報も数多くある。
その時は知られたくないと本人が投稿したものでも、後になって都合が悪くなって削除したいと思うケースもあるが、だれか他人が個人の迷惑になる情報を投稿するケースも、もっと多くある。
こうした名誉棄損や人権侵害に当たる情報をインターネットから消し去ってもらいたい。
個人の権利としてインターネットから「忘れられる権利」がある。ヨーロッパで、ある女性がインターネット事業者を裁判所に訴えた。この女性は過去の職業に関連した映像をネットに流されていた。その後、この職業を離れたので、平穏な私生活を送るため、過去の映像をインターネットから完全に削除してほしい、というのが主張である。ヨーロッパの裁判所はこの女性の主張を認めてインターネット事業者に削除を要求した。さらにEUでは「保護指令」を法制化する際に、この新しい権利である「忘れられる権利」を盛り込むことにしている。
しかし、なかなか難しい問題をはらんでいる。インターネットでは一度どこかに掲示されると、他のユーザーがこれをコピーしてどんどん他人に送信してしまうので、あっという間に拡散してしまうことがしばしばである。仮に情報の発信源であるブログやソーシャルメディアのその部分を削除しても、コピーされて拡散してしまった情報すべてを追いかけて削除することは現在の仕組みでは技術的に困難だ。また、安易に消し去って良いものか、内容にもよる。言論・報道の自由の立場からは、個人にとって「都合の悪い」ことが、社会正義のためには公開することが妥当な場合がある、とされる。
一応、報道の立場からの公共性や言論の自由の議論はさておき、問題を技術的な問題に絞ってみるとどうか。「忘れられる権利」が認められて、その情報の削除がインターネット事業者に義務付けられると、グーグル、フェースブック、ツイッターなどの事業者は極めて困ったことになる。その対応策を講じなければEUでのサービスは続けられなくなるだろう。さらに、EUの法制がEU以外でどこまで拘束力をもつかも問題になるだろう。EU内の情報がコピーされてEU外で提供されているサービスの中で大量に出回った場合に、罰則が及ぶのかどうか。こうした強い規制が出てくれば、こうしたクレームが出た時の場合に備えて技術開発の努力を傾注するだろう。本当に可能かどうか。さらに、そういう仕組みがいったんはできても、今度はそれを破ろうとする技術も出てくるだろうから、いたちごっこになって開発コストがどんどん膨張してゆく懸念もある。インターネットの活力が失われる影響も考えられる。
それでもなお、望まない個人情報がインターネットを駆け巡り、いつまでも削除されないという事態は、当事者にとっては深刻である。どのように展開してゆくのか。個人情報を取り扱う担当者は、今後の議論の展開に注目しておく必要がある。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization
その時は知られたくないと本人が投稿したものでも、後になって都合が悪くなって削除したいと思うケースもあるが、だれか他人が個人の迷惑になる情報を投稿するケースも、もっと多くある。
こうした名誉棄損や人権侵害に当たる情報をインターネットから消し去ってもらいたい。
個人の権利としてインターネットから「忘れられる権利」がある。ヨーロッパで、ある女性がインターネット事業者を裁判所に訴えた。この女性は過去の職業に関連した映像をネットに流されていた。その後、この職業を離れたので、平穏な私生活を送るため、過去の映像をインターネットから完全に削除してほしい、というのが主張である。ヨーロッパの裁判所はこの女性の主張を認めてインターネット事業者に削除を要求した。さらにEUでは「保護指令」を法制化する際に、この新しい権利である「忘れられる権利」を盛り込むことにしている。
しかし、なかなか難しい問題をはらんでいる。インターネットでは一度どこかに掲示されると、他のユーザーがこれをコピーしてどんどん他人に送信してしまうので、あっという間に拡散してしまうことがしばしばである。仮に情報の発信源であるブログやソーシャルメディアのその部分を削除しても、コピーされて拡散してしまった情報すべてを追いかけて削除することは現在の仕組みでは技術的に困難だ。また、安易に消し去って良いものか、内容にもよる。言論・報道の自由の立場からは、個人にとって「都合の悪い」ことが、社会正義のためには公開することが妥当な場合がある、とされる。
一応、報道の立場からの公共性や言論の自由の議論はさておき、問題を技術的な問題に絞ってみるとどうか。「忘れられる権利」が認められて、その情報の削除がインターネット事業者に義務付けられると、グーグル、フェースブック、ツイッターなどの事業者は極めて困ったことになる。その対応策を講じなければEUでのサービスは続けられなくなるだろう。さらに、EUの法制がEU以外でどこまで拘束力をもつかも問題になるだろう。EU内の情報がコピーされてEU外で提供されているサービスの中で大量に出回った場合に、罰則が及ぶのかどうか。こうした強い規制が出てくれば、こうしたクレームが出た時の場合に備えて技術開発の努力を傾注するだろう。本当に可能かどうか。さらに、そういう仕組みがいったんはできても、今度はそれを破ろうとする技術も出てくるだろうから、いたちごっこになって開発コストがどんどん膨張してゆく懸念もある。インターネットの活力が失われる影響も考えられる。
それでもなお、望まない個人情報がインターネットを駆け巡り、いつまでも削除されないという事態は、当事者にとっては深刻である。どのように展開してゆくのか。個人情報を取り扱う担当者は、今後の議論の展開に注目しておく必要がある。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization