第13回 「個人情報」は相対的権利
個人情報は「他人から侵されない聖域的な権利」の一つと理解されているが、これは妥当な理解ではない。「個人情報」は「個人を他と区別して識別、特定できる情報」である。
しかし、それは「本人の許諾なく流通してはならない」というものではない。「本人の許諾なく、意図せざる流通を防止する」のは、個人情報一般ではなく、「プライバシー」に関わる情報に限定されている、と理解した方が良い。「プライバシー」の方が、守られるべき権利としてより重いものである。日本では「個人情報」と「プライバシー」が混同されているので、やや厄介になっている。ただ、ここで強調しておくと、個人情報もプライバシーも、絶対的な権利ではなく、「公共の利益を侵さない限り」という制約がある。
たとえば、住所、氏名、生年月日、性別の住民基本データは、このセットで個人が特定できるので「個人情報」の代表例だが、その情報の流通がそれぞれの住民の許諾を得なければ使用できないとなれば、行政はたちまち麻痺してしまう。住民データを基本にしてさまざまな行政上の業務が行われている。これを拒否する権利はない。しかし、この上に追加される病歴・通院履歴や転居情報、学校での成績内容など、場合によっては個人が秘匿しておきたいと思っている情報については個人がコントロールする権利がある。「場合によって」というのは、ケースバイケースで、いろいろな状況がありうる。たとえば、病歴や通院履歴などは医療側の規定によって秘匿されることになっているが、転居などは事情によって個人から外部への開示を制限するように手続きを踏んで秘匿することができることになっている。
学業などは、かつては、かなり外部に開示されていた。結婚話が進展している途中で、相手の人物を知るために、それを専門とする信用調査会社が成績内容を集めていた。細かいデータまでは必要がないが、ある程度は知りたいという希望もあったのだろう。当時は、学校側も当然のこととしてデータの一部を提供していたフシが感じられるが、今日では無理だろう。それでも、刑事事件などの特殊ケースで、そうしたデータを集めているのではないか、と思えるケースもある。弁論を展開する立証過程で生い立ちなどに触れる際にそんなことを感じることがあるが、弁護側の場合には本人の同意も得られるだろうから正当なデータの収集ができるはずである。
また、「公共の利益」の観点から個人情報の収集が必要な場合には、個人の自己コントロール権は通用しなくなると考えるのが一般的だ。犯罪捜査に必要なケースではまず、個人情報の秘匿について主張しても通らない。オバマ米国大統領の1月17日の表明も、「やむを得ない国家安全保障上の目的がない限り」と、安全保障上の目的があれば、同盟国や友好国首脳の個人情報の収集を行うといっている。
犯罪捜査や犯罪防止の面から個人情報に近い情報を収集する最も典型的な例が「防犯カメラ」である。犯罪が発生した現場に近い防犯カメラに映った映像は「犯罪捜査」という公共目的のために解析されて、運悪く、偶然にその時間近辺でその場を通りがかった一般人も捜査の対象となる可能性が出てくる。当初、「プライバシーの侵害」と反対する人も少なくなかった防犯カメラも、犯人の割り出しと短時間での逮捕の効果が顕著に出てくると、「犯罪防止」の効果もある、と公共の利益が認識されて、個人情報や肖像権侵害についての激しい議論はなくなった。個人情報の自己コントロール権やプライバシーの権利は絶対的なものではなく、相対的なことがよく分かる。
さらに、社会、文化によって、個人情報やプライバシーの範囲も大きく異なってくる。米国では性犯罪者が服役後、社会に復帰して来た後の再犯率が高いことから、地域の安全のために性犯罪経歴のある人物をホームページに掲載して注意を喚起する地域もある。刑務所に入り、務めを果たしたのだから、犯罪歴は個人情報として公開しない、という考えもあるが、これらの地域では再犯率の高さから、地域の安全、公共の利益の方を重視して個人情報とはいえ、開示しているのである。再犯率の低いケースでは、犯罪歴は個人情報としてわざわざ、目立つ形で公開されることはない。
日本では再犯率の高い性犯罪などでも犯罪歴は公開されることは許されていない。日米社会の対応の違いも、個人情報に関わる権利が絶対的なものではなく、相対的なことを示すケースである。ただ、日本でも、公務員に応募する際、公的団体の役員に就任する際、ある種の国家資格を取得しようとする際など、「犯罪歴のないこと」という条件がつくことも多い。公開はされていないが、調査できる状態になっている。少なくとも、犯罪歴は個人情報の一つだから、「すでに更生したのだから調査できない状態にしろ」と要求するのは無理ではないか。これも公共的利益との関係で、個人情報の自己コントロール権が及ばない範囲に思える。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization
しかし、それは「本人の許諾なく流通してはならない」というものではない。「本人の許諾なく、意図せざる流通を防止する」のは、個人情報一般ではなく、「プライバシー」に関わる情報に限定されている、と理解した方が良い。「プライバシー」の方が、守られるべき権利としてより重いものである。日本では「個人情報」と「プライバシー」が混同されているので、やや厄介になっている。ただ、ここで強調しておくと、個人情報もプライバシーも、絶対的な権利ではなく、「公共の利益を侵さない限り」という制約がある。
たとえば、住所、氏名、生年月日、性別の住民基本データは、このセットで個人が特定できるので「個人情報」の代表例だが、その情報の流通がそれぞれの住民の許諾を得なければ使用できないとなれば、行政はたちまち麻痺してしまう。住民データを基本にしてさまざまな行政上の業務が行われている。これを拒否する権利はない。しかし、この上に追加される病歴・通院履歴や転居情報、学校での成績内容など、場合によっては個人が秘匿しておきたいと思っている情報については個人がコントロールする権利がある。「場合によって」というのは、ケースバイケースで、いろいろな状況がありうる。たとえば、病歴や通院履歴などは医療側の規定によって秘匿されることになっているが、転居などは事情によって個人から外部への開示を制限するように手続きを踏んで秘匿することができることになっている。
学業などは、かつては、かなり外部に開示されていた。結婚話が進展している途中で、相手の人物を知るために、それを専門とする信用調査会社が成績内容を集めていた。細かいデータまでは必要がないが、ある程度は知りたいという希望もあったのだろう。当時は、学校側も当然のこととしてデータの一部を提供していたフシが感じられるが、今日では無理だろう。それでも、刑事事件などの特殊ケースで、そうしたデータを集めているのではないか、と思えるケースもある。弁論を展開する立証過程で生い立ちなどに触れる際にそんなことを感じることがあるが、弁護側の場合には本人の同意も得られるだろうから正当なデータの収集ができるはずである。
また、「公共の利益」の観点から個人情報の収集が必要な場合には、個人の自己コントロール権は通用しなくなると考えるのが一般的だ。犯罪捜査に必要なケースではまず、個人情報の秘匿について主張しても通らない。オバマ米国大統領の1月17日の表明も、「やむを得ない国家安全保障上の目的がない限り」と、安全保障上の目的があれば、同盟国や友好国首脳の個人情報の収集を行うといっている。
犯罪捜査や犯罪防止の面から個人情報に近い情報を収集する最も典型的な例が「防犯カメラ」である。犯罪が発生した現場に近い防犯カメラに映った映像は「犯罪捜査」という公共目的のために解析されて、運悪く、偶然にその時間近辺でその場を通りがかった一般人も捜査の対象となる可能性が出てくる。当初、「プライバシーの侵害」と反対する人も少なくなかった防犯カメラも、犯人の割り出しと短時間での逮捕の効果が顕著に出てくると、「犯罪防止」の効果もある、と公共の利益が認識されて、個人情報や肖像権侵害についての激しい議論はなくなった。個人情報の自己コントロール権やプライバシーの権利は絶対的なものではなく、相対的なことがよく分かる。
さらに、社会、文化によって、個人情報やプライバシーの範囲も大きく異なってくる。米国では性犯罪者が服役後、社会に復帰して来た後の再犯率が高いことから、地域の安全のために性犯罪経歴のある人物をホームページに掲載して注意を喚起する地域もある。刑務所に入り、務めを果たしたのだから、犯罪歴は個人情報として公開しない、という考えもあるが、これらの地域では再犯率の高さから、地域の安全、公共の利益の方を重視して個人情報とはいえ、開示しているのである。再犯率の低いケースでは、犯罪歴は個人情報としてわざわざ、目立つ形で公開されることはない。
日本では再犯率の高い性犯罪などでも犯罪歴は公開されることは許されていない。日米社会の対応の違いも、個人情報に関わる権利が絶対的なものではなく、相対的なことを示すケースである。ただ、日本でも、公務員に応募する際、公的団体の役員に就任する際、ある種の国家資格を取得しようとする際など、「犯罪歴のないこと」という条件がつくことも多い。公開はされていないが、調査できる状態になっている。少なくとも、犯罪歴は個人情報の一つだから、「すでに更生したのだから調査できない状態にしろ」と要求するのは無理ではないか。これも公共的利益との関係で、個人情報の自己コントロール権が及ばない範囲に思える。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization