第31回 欧州と米国の個人情報取扱の違い
インターネットの発達とともに、欧米ともに、プライバシーを保護するための新しいルールを策定した。経緯が異なるために視点の違いはある。欧州は「忘れられる権利」、米国では「追跡されない権利」というのが新しい考え方である。
欧州の忘れられる権利は「一般データ保護規則」の中に明文化された。個人データ管理者はデータ元の個人の請求があった場合に当該データの削除が義務付けられた。それ以前に、フランス女性が過去の芸能活動時に撮られた写真が掲載されているのを削除するようにグーグルに対して請求し、EU司法裁判所が「忘れられる権利」を認めた判例があったが、これを保護規則の中で明文化したものである。
欧州では激しい宗教対立や民族対立の中で身を守るために、プライバシーを厳格に守ろうという思想が定着している。インターネットは無数の情報を組み合わせて効率よく特定の人物を捜索する能力をもつことができる。社会的に対立する勢力を捜し出し、危害を加えるための道具にも有効である。身を守る側に立てば、これほど恐ろしい道具はない。プライバシーを守る側に幅広く権利を認める傾向が強いのはそうした歴史的背景があるのではないか。
一方の米国では、連邦取引委員会が強制力をもって消費者保護を行うこととし、「消費者プライバシー権利章典」の中に、「追跡されない権利」を盛り込んだ。米国ではユーザーのデータをビジネスの活性化、新サービスの創造に利用することが進展しているが、その効用の半面、行き過ぎがあるのではないか、というビジネスの観点から問題が認識されている。ビジネスの活性化とプライバシーというバランスの問題である。
インターネットでは、ユーザーのさまざまなアクセス履歴や掲示板、ツイッターなどのSNS、ブログの書き込みなどの投稿履歴が残ってゆく。特定の通販サイトでの購入履歴もそのサイトには蓄積されている。これらは、集積し、分析することで、マーケティングなどに活用でき、大きな経済価値が生まれてくる。ビッグデータとして統計処理して大きな規則性の発見につながるだけでなく、個々のユーザーの願望や次の行動の予見にも利用されている。
経済価値だけでなく、社会的にも環境負荷を軽減する効用がある。潜在顧客を見つけ出す精度が上がって、適切な相手に商品やサービスの広告が打てるようになる。膨大な量の紙の宣伝物をばらまく従来の販売促進策はヒット率が著しく低く、無駄が多い。その従来方式に比べればエネルギーや紙資源の節約効果は絶大である。
とはいえ、個人のインターネットの中での行動が集積されて行くのは不安だというユーザーは少なくない。メールとSNSの組み合わせで、徹底的に関連情報を集められて、個人情報が丸裸にされる危険もある。実際、ツイッターでタレントの来店情報を不適切に流した店員はインターネット上で非難の集中砲火を浴びただけでなく、住所から家族の写真までネット上にさらされるという攻撃にあった。あちらこちらに痕跡が残っている情報を追跡してゆくと、まとまった個人情報になってしまう。
情報が追跡されないように希望するユーザーにはその措置が取られるようになっていなければならない。
このため、サービス事業者は、ユーザーに対して、プライバシーに関してユーザー自身がコントロールできるさまざまな権利を与える。サービス事業者に対し、収集するデータの取り扱いに対して十分な責任を要求する権利やユーザーがどのようなメリットがあるかを説明を受ける権利、収集されるデータの種類をユーザー自身が選択できる権利、収集されたデータをわかりやすく確認して、必要に応じて修正できる権利、第三者によってデータが利用されない権利、個人情報収集に適切な制限を設けることなど、ユーザーに数多くの権利を付与している。
ただ、現実に、どういう仕組みでユーザーがこの権利を実行できるのか、明確にはなっていない。ユーザーは不安だけでなく、こうして収集されたデータを利用して提供されるさまざまなサービスでメリットを得ていることも理解していて、日常的にはメリットの方が多いので、不安のことを忘れがちである。
インターネットは米国からさまざまなサービスが次々と生まれてきて、危険と隣り合わせではあるが、十分に便利さが実感できる社会にもなっている。便利さを享受しながらも、隣り合わせにある危険も意識しておく必要がある。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization
欧州の忘れられる権利は「一般データ保護規則」の中に明文化された。個人データ管理者はデータ元の個人の請求があった場合に当該データの削除が義務付けられた。それ以前に、フランス女性が過去の芸能活動時に撮られた写真が掲載されているのを削除するようにグーグルに対して請求し、EU司法裁判所が「忘れられる権利」を認めた判例があったが、これを保護規則の中で明文化したものである。
欧州では激しい宗教対立や民族対立の中で身を守るために、プライバシーを厳格に守ろうという思想が定着している。インターネットは無数の情報を組み合わせて効率よく特定の人物を捜索する能力をもつことができる。社会的に対立する勢力を捜し出し、危害を加えるための道具にも有効である。身を守る側に立てば、これほど恐ろしい道具はない。プライバシーを守る側に幅広く権利を認める傾向が強いのはそうした歴史的背景があるのではないか。
一方の米国では、連邦取引委員会が強制力をもって消費者保護を行うこととし、「消費者プライバシー権利章典」の中に、「追跡されない権利」を盛り込んだ。米国ではユーザーのデータをビジネスの活性化、新サービスの創造に利用することが進展しているが、その効用の半面、行き過ぎがあるのではないか、というビジネスの観点から問題が認識されている。ビジネスの活性化とプライバシーというバランスの問題である。
インターネットでは、ユーザーのさまざまなアクセス履歴や掲示板、ツイッターなどのSNS、ブログの書き込みなどの投稿履歴が残ってゆく。特定の通販サイトでの購入履歴もそのサイトには蓄積されている。これらは、集積し、分析することで、マーケティングなどに活用でき、大きな経済価値が生まれてくる。ビッグデータとして統計処理して大きな規則性の発見につながるだけでなく、個々のユーザーの願望や次の行動の予見にも利用されている。
経済価値だけでなく、社会的にも環境負荷を軽減する効用がある。潜在顧客を見つけ出す精度が上がって、適切な相手に商品やサービスの広告が打てるようになる。膨大な量の紙の宣伝物をばらまく従来の販売促進策はヒット率が著しく低く、無駄が多い。その従来方式に比べればエネルギーや紙資源の節約効果は絶大である。
とはいえ、個人のインターネットの中での行動が集積されて行くのは不安だというユーザーは少なくない。メールとSNSの組み合わせで、徹底的に関連情報を集められて、個人情報が丸裸にされる危険もある。実際、ツイッターでタレントの来店情報を不適切に流した店員はインターネット上で非難の集中砲火を浴びただけでなく、住所から家族の写真までネット上にさらされるという攻撃にあった。あちらこちらに痕跡が残っている情報を追跡してゆくと、まとまった個人情報になってしまう。
情報が追跡されないように希望するユーザーにはその措置が取られるようになっていなければならない。
このため、サービス事業者は、ユーザーに対して、プライバシーに関してユーザー自身がコントロールできるさまざまな権利を与える。サービス事業者に対し、収集するデータの取り扱いに対して十分な責任を要求する権利やユーザーがどのようなメリットがあるかを説明を受ける権利、収集されるデータの種類をユーザー自身が選択できる権利、収集されたデータをわかりやすく確認して、必要に応じて修正できる権利、第三者によってデータが利用されない権利、個人情報収集に適切な制限を設けることなど、ユーザーに数多くの権利を付与している。
ただ、現実に、どういう仕組みでユーザーがこの権利を実行できるのか、明確にはなっていない。ユーザーは不安だけでなく、こうして収集されたデータを利用して提供されるさまざまなサービスでメリットを得ていることも理解していて、日常的にはメリットの方が多いので、不安のことを忘れがちである。
インターネットは米国からさまざまなサービスが次々と生まれてきて、危険と隣り合わせではあるが、十分に便利さが実感できる社会にもなっている。便利さを享受しながらも、隣り合わせにある危険も意識しておく必要がある。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization