第32回 遺伝子情報と個人情報
遺伝子の研究は1990年代に米国政府が巨額の予算を振り向けて人間の遺伝子情報を解析する「ヒトゲノム・プロジェクト」を推進したことで大きく動き始めた。DNAやRNAなどの細胞内にある構造が急速に明らかになって、遺伝子の組み合わせパターンや配列が特定できるようになった。現在では全遺伝子情報について抽出できる技術が確立した。
遺伝子のパターンや組み合わせが分かっても、それだけでは役に立たない。どの遺伝子情報が人間のどの特性に関係しているかは、膨大な他の情報と比較参照して関係のあるなしを突き止めて行かなければならない。たとえば、糖尿病をもつ確率の高い家系の遺伝子とそうでない家系の遺伝子を比較参照して、強い相関関係のある遺伝子パターンが明確になれば、その部分が糖尿病を引き起こす原因の一つになっているかもしれない。相関関係がなければ、遺伝子に関わる疾病ではない可能性が大きい、と判定できる。
遺伝子情報と疾病との相関関係を調べるには、比較参照するために、疾病を持つ人、持たない人の膨大な量の遺伝子データが必要になる。ビッグデータ解析の効果が顕著に出てくる分野の1つである。問題はデータの収集である。「遺伝子のデータベースを構築するので協力をお願いします」というボランティアベースや「アルバイト料を払うので家族についての情報を提供してほしい」という方法では経費もかかるし、応じてくるモニターの数は、要求される量に比べて微々たるものである。
遺伝子解析サービスが注目されるのは、個々人が自発的に検体や健康情報、家族情報を提供して来ることである。しかも、お金を負担して。もちろん、自分の遺伝的傾向を知りたいという強い欲求に動かされてのことである。解析の精度はデータ量が大きくなるほど向上する。ユーザーが増加すれば、解析結果も精度が増すだけでなく、詳細になる。適用できる領域も範囲もしだいに広がってゆく。もちろん、個々のユーザーは解析結果の通知を受け取って、その後の行動に大きな影響を受けるだろう。遺伝子的疾病の傾向が少ないと分かれば、自信をもっていろいろな活動に進めるし、その逆の場合には生活習慣を変え、健康診断を頻繁に受けて早期発見と予防に真剣に取り組むきっかけができる。
しかし、匿名性を高めて、統計的に処理し、利用される、といっても、生活パターンと組み合わせて分析する、ウェアラブルコンピューターやスマート端末によって健康情報を継続的に収集して組み合わせて分析する、地域的特性や学歴などの後天的経験と組み合わせて研究するなど、多種類の情報を組み合わせてゆくと、個々のデータは匿名化されていても、総合的に個人が特定されてしまうケースも出てくる。
こういう個人情報保護問題をどのように解決するか。
日本以外で個人情報のルールが違う国のサービスがインターネットを通じてユーザーを集めて、国外で解析し、日本人の遺伝子データを集積している。日本の国民の遺伝子情報が日本国内ではなく、海外に蓄積されているのが実態である。日本のサービス事業者が、個人情報保護問題を乗り越えて、日本人のデータを蓄積して行かないと、このままでは、日本人の遺伝子データは海外のデータベースに集積し、これを利用して展開されるであろう医薬品の創薬などは日本ではなく、海外で行われる、という状況になりかねない。遺伝子に由来する疾病が確認されたものについては発症の予防に役立つので、日本の医療業界も予防や治療について、日本人の遺伝子データについて海外のデータベースを参照するという情けないことになりかねない。「遺伝子治療技術」の発展も国内では期待できない。日本の将来の発展の芽をつぶしてしまうのではないかという危惧がある。
問題は遺伝子情報の取り扱いについて日本より自由度が高い海外事業者のサービスがインターネットによって国境を越えて提供され、日本のユーザーが先進的なこうしたサービスを利用し始めていることである。日本でルールが厳しければ海外のサービスに流れてゆく。検索サービスがそうだった。著作権の取り扱いの違いから、日本では認められなかった著作物の一部の引用を米国では認めていたので、米国でインターネットに接続されるサイトの一部を表示する検索サービスが発展した。日本語版もできたので、日本のユーザーも利用し始めて、あっという間に検索サービスは海外ベンダーの独壇場になった。
遺伝子解析サービスも同様の状況になりつつある。その壁を突破しようというのが、DeNAやヤフーが始めるサービスである。
国際競争の場から大きく後れをとる日本の状況の打開策の一つが「本人同意」である。完全ではないものの、そこから出発しなければならないだろう。
参考になるのは、DeNAが提携したジーンクエスト社の個人情報保護方針である。
同社のホームページには個人情報の取り扱いにっついて詳細な説明がある。事前同意の説明である。不安な人はこのサービスを利用しなければ良い、ということである。
長いが、重要なので引用させてもらう。
「当社(ジーンクエスト社)はサービスを提供するため、さまざまな目的に必要なお客様の個人情報を取得します。こうした目的にはサービスの提供のほか、サービスの改善及び新製品や新サービスの提供、イベントの告知、特定の調査プロジェクト等への参加、アンケート情報の取得、その他の販売促進又は研究拡大を目的としたお客様へのご連絡、品質管理の活動などを含みます。また、当社はサービスの提供維持のため、第三者にお客様の個人情報を提供することがあります。例として、ウェブサイトの管理、モバイル・アプリケーションの運用、Eメールの送信、マーケティング・キャンペーンの実行、広告効果の測定、アンケートや投票の実施又はその他の当社の事業運営等を支援する者が該当します。どんな場合においても、当該個人情報について、保護されるように当該第三者と当社との契約の中で義務付けています。」
「当社がお客様の個別固有の個人情報を売買その他の取引をすることはありません。当社の委託先(当社のサービス運営業務の委託先、クレジットカード処理業者及び契約した分析研究機関等)は、当社のサービスの提供、理解、改善の支援等を目的として個人情報を処理・保管することがあります。」
「当社は、当社が保有するお客様の個人情報に関し、原則としてお客様の事前の同意を得られている場合を除き第三者に提供しません。ただし、法令又は行政官庁の要請を受けた場合、又は当社の適正な権利行使など合理的な理由が存在する場合、個人情報を提供することがあります。」
さらにジーンクエスト社は詳細に個人情報の取り扱いついて記述している。
ただ、それでもなお、利用する側にとっては十分な情報が与えられていないので、国は厳しく規制すべきだという意見もあるだろう。「個人情報」は個人の人権と公共の利益とのバランスの上に立っている。絶対的な人権ではない。しかし、可能な限り個人情報を保護する仕組みを作って前に進む以外にない。遺伝子情報の取り扱いも、試行錯誤が続くだろうが、日本だけが大きな潮流から取り残されてしまうのも、大きな問題である。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization
遺伝子のパターンや組み合わせが分かっても、それだけでは役に立たない。どの遺伝子情報が人間のどの特性に関係しているかは、膨大な他の情報と比較参照して関係のあるなしを突き止めて行かなければならない。たとえば、糖尿病をもつ確率の高い家系の遺伝子とそうでない家系の遺伝子を比較参照して、強い相関関係のある遺伝子パターンが明確になれば、その部分が糖尿病を引き起こす原因の一つになっているかもしれない。相関関係がなければ、遺伝子に関わる疾病ではない可能性が大きい、と判定できる。
遺伝子情報と疾病との相関関係を調べるには、比較参照するために、疾病を持つ人、持たない人の膨大な量の遺伝子データが必要になる。ビッグデータ解析の効果が顕著に出てくる分野の1つである。問題はデータの収集である。「遺伝子のデータベースを構築するので協力をお願いします」というボランティアベースや「アルバイト料を払うので家族についての情報を提供してほしい」という方法では経費もかかるし、応じてくるモニターの数は、要求される量に比べて微々たるものである。
遺伝子解析サービスが注目されるのは、個々人が自発的に検体や健康情報、家族情報を提供して来ることである。しかも、お金を負担して。もちろん、自分の遺伝的傾向を知りたいという強い欲求に動かされてのことである。解析の精度はデータ量が大きくなるほど向上する。ユーザーが増加すれば、解析結果も精度が増すだけでなく、詳細になる。適用できる領域も範囲もしだいに広がってゆく。もちろん、個々のユーザーは解析結果の通知を受け取って、その後の行動に大きな影響を受けるだろう。遺伝子的疾病の傾向が少ないと分かれば、自信をもっていろいろな活動に進めるし、その逆の場合には生活習慣を変え、健康診断を頻繁に受けて早期発見と予防に真剣に取り組むきっかけができる。
しかし、匿名性を高めて、統計的に処理し、利用される、といっても、生活パターンと組み合わせて分析する、ウェアラブルコンピューターやスマート端末によって健康情報を継続的に収集して組み合わせて分析する、地域的特性や学歴などの後天的経験と組み合わせて研究するなど、多種類の情報を組み合わせてゆくと、個々のデータは匿名化されていても、総合的に個人が特定されてしまうケースも出てくる。
こういう個人情報保護問題をどのように解決するか。
日本以外で個人情報のルールが違う国のサービスがインターネットを通じてユーザーを集めて、国外で解析し、日本人の遺伝子データを集積している。日本の国民の遺伝子情報が日本国内ではなく、海外に蓄積されているのが実態である。日本のサービス事業者が、個人情報保護問題を乗り越えて、日本人のデータを蓄積して行かないと、このままでは、日本人の遺伝子データは海外のデータベースに集積し、これを利用して展開されるであろう医薬品の創薬などは日本ではなく、海外で行われる、という状況になりかねない。遺伝子に由来する疾病が確認されたものについては発症の予防に役立つので、日本の医療業界も予防や治療について、日本人の遺伝子データについて海外のデータベースを参照するという情けないことになりかねない。「遺伝子治療技術」の発展も国内では期待できない。日本の将来の発展の芽をつぶしてしまうのではないかという危惧がある。
問題は遺伝子情報の取り扱いについて日本より自由度が高い海外事業者のサービスがインターネットによって国境を越えて提供され、日本のユーザーが先進的なこうしたサービスを利用し始めていることである。日本でルールが厳しければ海外のサービスに流れてゆく。検索サービスがそうだった。著作権の取り扱いの違いから、日本では認められなかった著作物の一部の引用を米国では認めていたので、米国でインターネットに接続されるサイトの一部を表示する検索サービスが発展した。日本語版もできたので、日本のユーザーも利用し始めて、あっという間に検索サービスは海外ベンダーの独壇場になった。
遺伝子解析サービスも同様の状況になりつつある。その壁を突破しようというのが、DeNAやヤフーが始めるサービスである。
国際競争の場から大きく後れをとる日本の状況の打開策の一つが「本人同意」である。完全ではないものの、そこから出発しなければならないだろう。
参考になるのは、DeNAが提携したジーンクエスト社の個人情報保護方針である。
同社のホームページには個人情報の取り扱いにっついて詳細な説明がある。事前同意の説明である。不安な人はこのサービスを利用しなければ良い、ということである。
長いが、重要なので引用させてもらう。
「当社(ジーンクエスト社)はサービスを提供するため、さまざまな目的に必要なお客様の個人情報を取得します。こうした目的にはサービスの提供のほか、サービスの改善及び新製品や新サービスの提供、イベントの告知、特定の調査プロジェクト等への参加、アンケート情報の取得、その他の販売促進又は研究拡大を目的としたお客様へのご連絡、品質管理の活動などを含みます。また、当社はサービスの提供維持のため、第三者にお客様の個人情報を提供することがあります。例として、ウェブサイトの管理、モバイル・アプリケーションの運用、Eメールの送信、マーケティング・キャンペーンの実行、広告効果の測定、アンケートや投票の実施又はその他の当社の事業運営等を支援する者が該当します。どんな場合においても、当該個人情報について、保護されるように当該第三者と当社との契約の中で義務付けています。」
「当社がお客様の個別固有の個人情報を売買その他の取引をすることはありません。当社の委託先(当社のサービス運営業務の委託先、クレジットカード処理業者及び契約した分析研究機関等)は、当社のサービスの提供、理解、改善の支援等を目的として個人情報を処理・保管することがあります。」
「当社は、当社が保有するお客様の個人情報に関し、原則としてお客様の事前の同意を得られている場合を除き第三者に提供しません。ただし、法令又は行政官庁の要請を受けた場合、又は当社の適正な権利行使など合理的な理由が存在する場合、個人情報を提供することがあります。」
さらにジーンクエスト社は詳細に個人情報の取り扱いついて記述している。
ただ、それでもなお、利用する側にとっては十分な情報が与えられていないので、国は厳しく規制すべきだという意見もあるだろう。「個人情報」は個人の人権と公共の利益とのバランスの上に立っている。絶対的な人権ではない。しかし、可能な限り個人情報を保護する仕組みを作って前に進む以外にない。遺伝子情報の取り扱いも、試行錯誤が続くだろうが、日本だけが大きな潮流から取り残されてしまうのも、大きな問題である。
【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization