第53回 知る権利と忘れられる権利

検索サービスが「人格権を侵害している」として検索結果の削除を要求する動きは欧州で始まった。かつて成人映画に出演していたころの映像がインターネットの中を流通しているのに対して、出演女優が削除を要求し、「忘れられる権利」を主張した。欧州のデータ保護指令の中にこの考えが取り入れられ、サイトそのものへの削除要求とともに、その流通の手がかりとなっている検索サービスにも削除要求が広がった。

今年5月、欧州司法裁判所は、スペイン人男性の申し立てを認めてグーグルに検索結果の削除命令を下した。このスペイン人男性が10年以上前の社会保険料未納に関する記事が検索サービスを利用して表示されて、現在の生活に支障を来している、と実害を訴えた。グーグルはこれに応じて削除を要求する案件について審査した上に、妥当性があれば検索結果を削除する体制を作った。すでに数十万件の申し立てがあって、その4割近くが認められて削除されたという。

この問題は、まだ、十分な決着を見ているわけではない。

欧州のケースも、東京地裁のケースも、10年以上も経過した事件であり、その記事がもたらす公益性と比較して人格権保護の方が重みを増した、というのが削除命令の判決を出した理由の1つである。京都地裁の判断では、事件後1年半という時間の経過は、この事実を公開していることの公益性の方が大きい。

もちろん、事件の内容も斟酌されている。

米国のある州では、性犯罪のような習慣性があるとされる犯罪歴のある人物についてはホームページなどで公開している例もある。犯罪者の「人格権」を無視している、という批判もあるが、再犯率が高いという統計に基づいて、社会の安全を優先して、犯罪者の「人格権」を後回しにしている。

また、政治家などの重要な役職に立候補するようなケースでは、過去の行為についても選挙の判断材料になるので、削除要求を受け入れるのは難しいだろう。一般人の安寧な生活を維持するために過去の記録を消したいという要求とは区別して考えるべきだという意見が圧倒的だ。

しかし、こうして公開ルールについて恣意的に判断が行われるのは危険であるという主張もある。
問題は、国民、市民の「知る権利」の本質に触れる。検索サービスは、国民、市民が「知るべき事柄」に容易にアクセスする重要な手段になった。それを「忘れられる権利」という漠然とした概念で規制してゆくことは、インターネットによってさまざまな事象を知る道具を得た国民、市民から、その道具を奪ってゆくことになりかねない、というのである。

要は、「知る権利」と「忘れられる権利」をどのように両立させるかである。もちろん、人権が著しく制限されている国や地域は別にして、近代国家として、国民の知る権利、言論、表現の自由を社会原理とする民主主義国家では、「知る権利」も「忘れられる権利」のような個人の「人格権」もともに重要な権利である。公開の場でルール作りの議論を戦わせることが必要である。


【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization