第71回 マイナンバー制と国民ID

マイナンバー制のスタートでは、企業にも大きな影響がある。その点については、今後、施行ルールがはっきりするのに応じて、随時、このニューズレターで報告してゆきたい。
今回は、マイナンバー制の適用範囲がなぜ、徐々にしか進められないか、その歴史的背景から考えてみる。

マイナンバーの淵源は1968年に登場した「各省庁統一個人コード」の創設構想である。行政サービスごとにばらばらにつけられている番号は不合理であるとして、国民を一つの番号で統一しようという「総背番号」の提唱だった。しかし、ジョージ・オーウェルの小説「1984」に登場する支配者「ビッグブラザー」の社会につながるとして批判されて頓挫した。「ビッグブラザー」の社会とは、政府が国民・市民を監視して完全に支配してしまう社会である。全体主義国家が再来する危険があるとして強い抵抗があった。

次いで、1980年ころにひと騒動が起きたのが「グリーンカード」と呼ばれる「少額貯蓄等利用者カード」制度である。当時、300万円以下の預貯金は、「マル優」として非課税の優遇制度があった。そこで、多額の預金をもつ多くの国民が、資産を300万円以下に分散して仮名口座を作り、税金逃れをすることに走った。これを防ぐために、300万円以下の貯金をする人は「グリーンカード」の利用を義務付け、仮名口座を防ぐルールを作ったのだが、これが個人を監視する国民総背番号制につながる、というロジックに拡大し、つぶされてしまった。

その後、情報社会に突入し、いろいろな行政サービスが、行政機関によってばらばらなのは効率的な行政を行うことを妨げるとして、その基礎として住民基本台帳ネットワークが構築された。しかし、この運用をめぐって、各省庁のデータが統合されるのは「ビッグブラザー」の再来、「国民総背番号」だと抵抗を受けて、適用範囲を極端に狭められたため、民間利用まで構想し、日本の情報化進展を進めようとした日本のIT戦略の基礎が崩壊し、日本は先進国中でも情報化については後進国と位置付けられる状況にずるずると後退する羽目に陥った。

そこで起きたのが2007年ごろの「消えた年金問題」だった。行政機関ごとにばらばらどころか、年金制度の中ですら、企業ごとの年金、厚生年金、国民年金と権利機関ごとに番号が異なるため、だれがどのように年金を支払っているのかが継続的に管理できていないことが発覚し、受給資格の有無が分からない人が多数発生し、今日に至るまで、完全には解決するに至っていない。共通番号があれば、起こらなかったのが、「共通化」を拒否したために起きたのである。「個人の監視で人権を侵すかもしれない」という懸念の結果、「年金を受け取る正当な権利」という人権が失われた。こうした反省を含めて、社会保障分野の共通番号の便益性への理解が広まって、とりあえず合意が得られた範囲からマイナンバー制を始める、というのが現状である。

マイナンバー制には個人情報を取り扱うので、厳格な運用が必要である。
その内容については、これから随時、取り上げてゆく。


【筆者=JAPiCO理事長 中島洋】
*本コラムは、個人情報管理士、認証企業・団体サポートの一環として配信されている「JAPiCO」メールマガジンからの抜粋です。
*Japan Foundation for Private Information Conservation Organization